「心の時代」の枠組みが個人としての悟りと愛なら・・・
では世の中ではどうか。
○○主義と今まで歴史の織物にその時代背景と共に織られている。
民主主義も今混沌としたこの世の中、実は新しいシステムを要求されている。
民主主義を超えるものが形成されていかなくてはならない。
そしてもうひとつ
儒教で言われる仁の精神がよく人としての道と言われる。
悟りと愛そして儒教を超え、現代ではどんな形を形成するのか、迷妄の中で要求されてくるのではないか。
Happy sprout3 Maitreya / 幸福の芽3 蓮みろく
ひふみ神示(日月神示)の大奥山
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仏教を学ぶと気がつくことがある。
仏教は悟りを求める。
悟りは個人としての我が心を見つめていく。
そのせいだろうか。
考え方がいつも個人から発して考えていく思考回路をイメージしてしまう。
われが存在し、われは何か、突き詰めていき他の存在を考える。
キリスト教は愛を教えている。
愛は他者から始まる。
激しく言えば自己犠牲までいく。
歴史の織物はずっと前から今まで織られ続けている。
過去、仏教の時代があり、キリスト教の時代があり現代はどうか。
現代は仏教よりキリスト教より進化している時代となることを望まれるようになる。
現代の「心の時代」は悟りと愛を融合しそして進化した時代
そういう時が今来ているのだと一部の人は感じているのではないだろうか。 -
四法印の話を先日したけれど、よくこの四法印では仏法で「一切皆苦」という言葉もある。
一切皆苦・・・
この世で生きること一切が皆、苦しみである。
仏さまの時代は今よりずっと苦しみが大きい時代だった。
現代でみたらどうだろうか。
仏さまの時代の苦しみとまた違う形の苦しみが人の苦しみとなっている。
我が・・・から考えるととても苦しい。
自分が自分がと我を張って生きていることが苦しみである。
でも我がをはずして、相手のことを思いやると自分も相手も共に生かされて幸福なのである。
そこに仏さまの意図も隠されている。 -
2009年10月10日から11月29日に投稿した[人間関係が難しかったら]の記事をまとめました。
10/10人間関係が難しかったら①
人間関係って自分が幸福になるための大切なもの
人間関係って他人も幸せになる大切なもの
人間関係、難しいなと思っていたら、まず、試してみよう
鏡の前の自分がうまく笑えるようにうまく笑える人は人間関係がいい
今どきの若い人は自分がいちばんかわいい笑顔を鏡の前で作ってみているみたい
これってけっこう大切。
自分の笑顔褒められるってとっても素敵だし、それだけでも周りの人もいいみたい
自分の笑顔に自信が持てるように鏡の前で頑張ってみよう
そしていつか何も考えなくても素敵な笑顔のあなたになるように
10/11人間関係が難しかったら①の2
人間関係が難しかったらうまく笑えたらいい・・・なんて書いたけれど
笑顔もいろいろ
明るい笑顔は若さの特権かな
さわやかな笑顔もある
ただ思いやりのある笑顔なら多少しっとりしていた方がいいのかもしれない
無神経に人の心に差し込まないように
弥勒菩薩の微笑みは有名だけど私は泣き弥勒の方に興味を持った
弥勒菩薩の微笑みはどうなのだろうか
天上から見ていて一生懸命に生きている人達を慈しんで微笑んでいるのだろうか
10/12人間関係が難しかったら②
自分がどう思われているか心配、自分がいやがられているんじゃないか
誰も私に声をかけてくれない
誰か私に声をかけて・・・
自分のことばかり考えないで自分から声をかけてみよう
相手のこと考えて声をかけてみたらいい
さりげないことばや思いやりのあることばだったら話しかけられたらみんなホッとするから
自分のこと気にしてほしいと思うより相手のこと気にするとなんだか自分のことも気になるみたい
お互い気にし合うからいい関係になるんじゃないかな
10/13人間関係が難しかったら③
人間関係が難しいなと思うときみんな不器用なんだなと思う
私も含めて・・・
人間関係が難しいと思うのは人との距離の取り方かもしれない
気になって気になって落ち着かない、気にもしていないのに求められてしまう
求めすぎて失ってしまう
友人も近所の人も適当な距離をとる、その感覚が大切なんだと思う
その典型が夫婦
夫婦はなぜか、お互いが自分のものだと勘違いをしてしまう
違うんです、だって個人が二つあるのですから
夫婦だっていい関係づくりは適当な距離をとれることなんじゃないかな
10/14人間関係が難しかったら④
求めても求めても自分のほうに向いてくれない
彼であっても、彼女であっても、友人であっても、職場の人でも苦しい・・・
だって他人なんです
人の心を自由にはできない、まして人は求められすぎると近寄るのがこわくなる
振り向いてほしかったら相手の人に求めるより求められる人間になるほうが近道かも
逆に私のこと気にしないでいいの、注目しないで人の目が気になってどうしようもない
辛い・・・
だって自分だって1人の人間なんだから周りの人だって気にして当たり前
こんなとき自分に自信がもてないからそう思うのかもしれない
時間はかかるけど自分に自信がもてるもの、何かひとつ探してみたり、これから作ってみよう
10/15人間関係が難しかったら⑤
相手の人はこう思うんじゃないかなと思ってそうだと思ってなにかしてもなんだかうまくいかない・・・
自分が考えているようにことは進んでいくはず
だからこうしようとやってみてもでもうまくいかない・・・
そんな時は自分の価値観で自分の周りの人もきっとそうだって勝手に勘違いしていないかな
世の中にはいろんな考え方の人がいる
他の人がどう考えているのかって直接聞いてみよう
きっと自分の価値観や憶測と違った答えが返ってくる
世の中はいろんな人がいていいんだ
たくさんの個性をもつ人が同じ時代を生きている、同じ時代を作っているんだ
10/16人間関係が難しかったら⑥
私がこんなにしてあげているのに、少しくらい感謝してくれてもいいじゃない
相手は全く感謝も見向きもしてくれない
世の中にとてもきれいな言葉で「無償の愛」がある
逆が「見返りを求める愛」かな
でも私がこんなにしてあげているのにって思う心は無償の愛じゃないからいけないのかしらって思う人いたら天使を目指そう
もっと突き詰めて天使になったほうがいい
人は何かを他の人にしてあげるときに私の方をむいてほしいって思ってする人もいるし、善いことをすることはいいことだからしようって思う人もいるし、してあげるの好きだからしてあげるっていうのもある
でもね、無償の愛ほど難しい
無償っていうのは相手を傷つけることがある
崇高すぎるその思いに頭をさげなくてはいけないって思わせてしまうから
さりげなく名も無くおこなう善行が本当の無償の愛かもしれない
してあげるって押しつけがましくしていたら誰も感謝も見向きもしてしてくれない
これはしてあげているんではなく、相手の心をしばろうとしているんです
相手の心をうばおうとしているんです
居心地悪いんですね
なにか家族のためや人の役にたちたいと思っている人が感謝を求めてやっているわけではないって思っている
でも少し感謝をされると元気が出てくる
それがとても大切なことかもしれない
何かしてもらったら感謝をして、次に誰かに何かしてあげよう
そんな感謝の仕方もあるかもしれない
だって人は時間を超えてお互いさまで生きているのだから
10/17人間関係が難しかったら⑦
無視されて辛い
どうしてなんだろう、どうしたらいいんだろう・・・
いろんなこと考えられるから書ききれない
悪くもなかった人間関係、ある日何かのきっかけで気まずくなる
なぜ、なぜ、どうしてではなく、翌日になったら理由なんかより相手の人にあいさつをしてみよう
もしかして相手も気まずくてどうしようって思っているかもしれない
最初が肝心、長引けば悪くなった原因がたくさん出てきて止まらなくなる
あいさつすればきっと相手もなんだか近づきやすくなる
いつの間にかそんなことあったことも忘れてしまえることもある
とっても大切なこと、だって人は人の中で生きているんだもの
10/18人間関係が難しかったら⑧
自分は間違ってない、だから・・・
だからって、だまっていたら他の人はあなたが何を考えているかわからない
他の人はあなたが思っている心を読めるわけじゃない
自分と他の人は考え方が違う
同じじゃないと思ったほうがいい
共感できる人に会えるのは人生の中の喜びだと思う
だから自分から自分をわかってもらう
努力をしようよ
自分のことわかってもらったら他の人のことも理解しよう
11/6人間関係が難しかったら⑨
気がついたら間違ったことしてしまって後悔している・・・
昔のこと、ずっとひきずっている・・・
誰かに責められているような気がして・・・
だから何かに積極的になれない
何をしていても憂鬱
誰かに責められているような気がするのは仏さまにその心を見られているせい
誰かに懺悔する前に仏さまに懺悔してみよう
仏教ではよく仏性に照らしてという表現がある
このときに必要なのは悟りに入るための八つの道、八正道という
このうちの「正見」「正思」
相手が悪くてこうなったのか、自分のせいでこうなったのか
冷静になって自分の心に素直になってよく考えてみよう
苦しい時、自分で何か言い訳をしていることってよくある
本当はその心の中にある言い訳を解決してしまったほうが楽になれるんだけれど
解決できるものだけではない
仏さまはいわれる
心を正し、仏さまにその思いが届けば次の道が開かれていくだろう
それが心の底からわかればまた人は強く生きることができる
11/7人間関係が難しかったら⑩
なんだか自分だけが無視されたりいやがらせされていても誰も気にしてくれない
いじめに合っている・・・
いじめの問題は一言では終わらないし、深すぎて実際その場にならないとなかなかどうしたらってわからないところがある
今、世間で言われているものと違う面からブログを書いてみる
いじめっていうのは弱肉強食という世界、これは世間でも言われる
弱肉強食というのは心の世界からみたら環境の支配を受けているっていうことになる
誰かその環境で強く影響を持つ人のことばや思考、それがその環境を力で支配していく
よい環境の支配もある、この場合、人の徳というものが必要になる
環境の支配でいじめがおこるとどうなるか。
いじめても正当化される環境が生まれてくる
いじめられていて辛い・・・
なんで自分ばかり・・・
誰もわかってくれない・・・
自分は間違っているか、間違ったことはしていない・・・
なのになぜ・・・
これは環境の支配で普通の正義と違うものが正当化されているってこと
この中に入ってしまうとなかなか抜け出せない
このときどうするか、一番はじめにすることはだまっていないこと
公明正大にすることが大切
環境の支配に勝つためにどうしたらいいか
いくつか方法をやってみて最後は仏さまの力をお借りするしかない
仏さまはみている
もっと強くなりなさい、前向きに生きなさい
何か解決できる方法をさがしなさい
そしたら何らかの道が開かれていくだろう
11/16人間関係が難しかったら⑪
人間関係は昔から言われているが「和」をもって尊しとなす
周りの人と仲良くするっていうのは大切なこと
でも仲良くなれない人っている
頭にきたって仲が悪くなってもしばらくするとなんとかしなきゃって普通は思う
そう思わなかったら今度は心の中で言い訳が始まる
○○だから許せないとか
でもやっぱり周りに仲が良くない人がいると不安になる
がんばって仲良くしようって・・・
やっと声をかけてもでもなかなか相手は振り向いてくれない
自分は仲良くなりたいって思うとき相手もそう思っているとすぐになれるんだけど
そうでないとき・・・
相手の心の中は「あなたに勝ちたい」って思っているか、「私はあなたより上なんだから」って思って競っているか、どちらにしても相手の心の中は仲良くなんてこと考えていないこともある
そんなとき、どうするか
元気でさっぱりしている人は何にもこだわらず「おはよう」ってすぐに声をかけられる
それだけで相手の人もこだわっていたのがなんだったっけと思って終ってしまうことがある
でもそれでもだめなら・・・
相手が自分と仲良くしてくれなくてもあなたが仲良くしようって思って声をかけているのは周りの人が良く見ているから
そういうことって大切
11/22人間関係が難しかったら⑫
人間関係が壊れてしまうとき・・・
自分は人間関係がよいと思っている人が人間関係が悪くなってしまうとき・・・
それは自分が危機の中にいるとき・・・
でも自分がどんなに危機にいるかなんてあまり周りの人は考えてくれない
危機の中にいることさえ気づかないかもしれない
むしろ、その危機に対して周りの人はあなたがどう対処するかを冷静にみている
周りの人の中ではみているだけではなく、それを助けようと思っている可能性さえある
自分自身の危機のとき、まず自分でできることをやって、それでもどうしようもなかったら周りの人に自分の置かれている状況を知ってもらおう
人間関係がよかったのに悪くなるときそれはあなた自身が忙しいとき・・・
周りの人はそれをわかってくれなくて自分だけが忙しい・・・
忙しいって心を亡ぼすって書く
忙しいときに自分のことしか考えられず周りの人を責めて、理解してくれないことに腹をたててそれまでよかった人間関係を壊す
そんなとき、怒ってもしかたがない
どうしたらその忙しさを解決できるか考えてみて周りの人とも相談してみよう
もちろん、リーダー的な立場の人はその忙しさを乗り越えていかなくてはならない
忙しさは心を亡ぼすこの言葉の意味を知ってから私自身も忙しさに壊されることがなくなった
11/22人間関係が難しかったら⑬
ある人の裏切られた・・・
辛い・・・
どうして・・・>
恋愛でも友人でも職場でも信頼していた人に裏切られて辛い
恋愛ではもう生きているのが辛い・・・
友人では明日どうやっていけばいいのか・・・
職場では未来が真っ暗になる
そんなとき、自分は相手の人に信頼されていただろうか
甘えていて相手の人を理解していなかったのではないだろうか
怨む前にそう考えてみることも大切
まれに心が病んでいて人を裏切っても、自分のことが大事で人のせいにしても自分を守りたいという、
そういう人に出会うことがある
こんな人も世の中にはいるんだとわかっていることも大切
そしてまず自分が人に信頼される人になること自分が人から信用してもらえる人になることから始めよう
そして人と人との距離をうまくとっていくことが大切なこと
11/29人間関係が難しかったら⑭
政治の話をわずかだけれど書いていたら身も心も疲れ果て、重くなってしまった
どうしても処方箋を書きたくなり書いた
身体がすっきりした
でもなんとなく疲れが残ったのでそれをどうするか
そこで突然、私には逆発想が出てくる
明るいことを考えたい
心の向きを意図的に変えようと思うのは意図的に変える習慣を身につける必要ある
昨日何かトラブルがあったら・・・
昨日のことを今日も引きずる人、昨日のことは昨日のことで清算して今日を迎える人、昨日のことを一生許さないでこれから毎日を過ごす人、人それぞれ
でもどんな人が幸せかってきかれたらやっぱりこだわらないで前向きに生きる人かな
自分のタイプはこだわるタイプで引きずる、これだって思って納得していたら幸せになれない、そこから脱却してさっぱり、こだわらない人になって毎日新しい日をすごすようにしよう
少し前のこと・・・
私が言った一言にこだわって私に何度も繰り返し言う人がいた
1週間たったのでその人に「もうそのことを話してから1週間たった、このへんでその話を止めよう。」と話した
その人は「あ、それでいいんだね。」と言ってそれからもうその話はしない
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昨日三法印の話で終わったけど仏さまの時代は悟りの時代だった。
仏さまの時代から時流れ・・・
現代に生きる私たちには悟りからもう一段「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の次がある。
「光明荘厳」という。
仏さまの時代のことで言えば執着を断って悟りの境地に入って仏さまと一体になることまでだった。
来世はその次があると。
「光明荘厳」
仏さまの法を体現して生きること。
この世界に法を張りめぐらしている仏さまが存在し、それを実感した時に今まで見ていた世界に仏さまの意図がわかり、その中で生きていくこと。
現代で言えば自分のものとか自分がとかって思ってもそれは一時的なものでそこに苦しみがある。
その執着を断って安らぎの心境になったら今度は自分でつかんだ大切なものを大事にして今を生きていく。
この大切なものって、「栄枯盛衰」に全く関係のない価値のあるものなんだ。
それはきっと心の幸福が増えていくこと・・・。 -
きのう栄枯盛衰の話になったけれどやっぱり思い出すのは平家物語の一節
今日はちょっと仏法の話。
仏法三法印と言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」
仏さまは悟りのために三法印を説かれた。
仏さまは僧団を作り、その中で悟りのためにこの法を弟子に説かれた。
今を生きる私たちにとってこの三法印が必要だろうか。
実社会でいえばどうだろう。
諸行無常・・・
自分はこれが全てだって思っても時間がたつと色あせ、また違うものになってしまう。
自分自身も次の瞬間にはまた違うものがほしいと思ってしまう。
自分も周りもいつも同じなんてことはありえない。
諸法無我・・・
いろんな理はあるけれど、これって誰が決めたのか。
自分が、親が、世間が決めたのか。
そうじゃない、長い人類の歴史の中でできていて自分なんてものはない。
涅槃寂静・・・
涅槃は天国と考えると全てのものは移ろい流れていく、そこに自分が自分がと我を張ったところでどれほどの意味があるのか。
その執着から離れれば天国的な安らぎがくるのだ。
(仏さまの世界に心境が達するともいうけれど)
仏さまの僧団の中ではこの心境になると仏さまと一体になる。
でも私たちは今を生きているのだ。
あらゆる自分のものとか自分がというものを去って苦しみから、執着しているものから離れよう。
そして解き放たれたら、現実に戻ろう。
自分にとって本当に大切なのは何か、その何かをつかみ大切にして生きていこう。 -
街並みを抜けて自然を楽しむ。
気分がすっきりする。
自然の中には栄枯盛衰がある。
栄枯盛衰は何も偉い人のものだけではない。
自分にもあるし、花や草にだってある。
すごく大きくてきれいな花もやがて枯れる。
踏みそうな草の中を覗けば小さいけど今が盛りと小さな光を放って咲いている花がある。
とても栄えた人もその時は得意だったりするがその人が下り坂になったときは若くて何も持たない人がうらやましかったりする。
栄えた人も病いに休めば何も持たなくても元気な人がうらやましかったりする。
人は自分にないものを他の人に求めうらやましがる。
だから視点を変えればあなただって持っているものはいっぱいあるのだ。 -
もちろん、ブログに「みろく」と書いているように弥勒菩薩に以前から興味はあった。
でもだからってそんなに気にもしていなかった。
でも最近、弥勒菩薩について少し勉強してみた。
私が興味を持ったのは広隆寺の弥勒菩薩の脇にある泣き弥勒のほうだった。
泣き弥勒の写真を見ているとなんともいとおしく感じてしまう。近くに行って「大丈夫だから」って言ってあげたいとそんな大それたことも考えてしまう。
救世仏と言われる弥勒菩薩は仏様の説かれる法を得とくして、人の苦しみに同じ苦しみを感じて、なんとかしたいといつも考えてくださるのだろうか。
未来仏の弥勒菩薩はこの苦しみの世の中に既存のシステムでないものを世に現わし、希望を与えてくださるのだろうか。 -
弥勒菩薩って昔、インドのお釈迦さまの時代に
生まれたと言われている。
救済仏とも未来仏とも言われている。
もし、弥勒菩薩がいたら、
「泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命生きている。
泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
思っている。」という心の声を
聞かれることがあるのだろうか。 -
2009年9月29日から12月6日に投稿した[落ち込んで上がれない時]の記事をまとめました。
9/29落ち込んで上がれないとき①
落ち込んで上がれないとき、これって「うつ」ともいうのかな
落ち込んで上がれないときってあるけど、いろいろ
でも誰にも言えなくて、心が苦しくて苦しくてどうしょうもないとき、そのままにしないで
あきらめる前に自分のこと誰かに話をしてみよう
苦しくて苦しくて、その苦しみから逃れられるのは決して自分を消滅してしまうことではなくて解決策を探してみることだから
10/1落ち込んで上がれない時②
うつっていろいろ、「自分は完璧にやっているのに、誰もわかってくれない!」と心の中で叫んでいるときって苦しいよね
苦しくて苦しくって自分のこと認めてほしいのに、なのに周りの人は認めてくれない
「誰かわかって!私のこと認めて!他の人ってやってないじゃない」って叫んでも、でもよく周りの人を見てみて
周りの人はあなたみたいに頑張っていないかもしれない
でももしかしてあなたの目には頑張っていないように見えているだけかもしれない
そうじゃなきゃ、周りの人は頑張りすぎないけど、「みんなで仲良くやろうよ」って考えて少し遠慮しているのかも
他の人はあなたとちょっと違う視点でみているのかもしれない
周りの人もそして自分もそれぞれの視点でみたら完璧じゃないから、だから許し合おうよ
10/2落ち込んで上がれない時③
うつっていろいろ
話をしたくない、どうしてもごはんが食べれない、どんどん痩せていってどうにもならない、食べる気力もない
そんなときホントは生きていたくないんだよね
そんなとき、自分のこころ見つめてみて
誰かを許せないんじゃないかな
こんなときごはんを食べたって元気にならない
許せない人いたらその人許す前にその人に振り回される人生やめようよ
もっと自分をしっかりもって生きようよ
自分が自分の人生主体的に生きて幸せになろうと思わなかったら幸せになれないのだから
10/2落ち込んで上がれない時④
自分に突然ふりかかってきた大きな悲しみに自分が生きていることを肯定できないような深い深い悲しみの瞳で空間をみつめている人があなたの近くにいたら
そう、大切にしていたものを失った悲しみ、大切にしていた心を失った悲しみ、大切な人を失った悲しみ、大切な人に裏切られた悲しみ、その悲しみが大きすぎて言葉も動くこともできないでいる
そんなとき文字をみることすら意味を見いだせない、どうすることもできない
でもね、時間は流れていく
辛いんだね
だけど時間はその大きな悲しみさえ飲み込んで過去のものにしてあなたに新しい時間を与えてくれる
心が少し癒えたら私に声かけてね
近くにいる人、そう伝えてあげて
瞳にわずかに光を灯してあげて
10/3落ち込んで上がれない時⑤
うつっていろいろ
でもこれで取りあえず最後にしよう
がんばりすぎたあなたへ
良い人過ぎたあなたへ
周りの誰もあなたの頑張りように気付いてくれなかったね
ほんとに頑張っていたんだよね
「これ以上頑張れない」って心が叫んでいるのに聞いてくれる人いなかったね
心も体も少し休憩したら、今度は他の人に心の扉を開いてみて
そしてもしまた自分がいっぱいになってしまったら自分の心に閉じこもってしまう前に誰かに話してみよう
10/5落ち込んで上がれない時⑥
落ち込んであがれないとき、⑤までで終わりにしようと思ったけれどまだ、いくつか書きたくなった
何もやる気がおきない、今まで簡単にできたことに手がつけられない
体が今までの何倍も重く感じる、体が温まらない、生活をすることだけで精一杯
どうしてこうなったんだろう
なぜ、こうなったんだろうと考えてばかりいても解決しない
原因はあるかもしれないけれど、原因がわかったから解決することでもないかもしれない
だから、1日のうちで少し体の動きが良い時に外に出よう
まだ陽の出ているうちに
繰り返していくとだんだん、気持ちの切り替えができてくるから
10/5落ち込んで上がれない時⑦
自分が思っていたほど、世間が評価してくれず自分はすごく頑張ったのに 人は何も言ってくれない
自分じゃなく他の人の方が評価が高い
とても辛い
でもね、よく考えてみて
自分はまだ自分の殻から出ていないんじゃないかな
自分の価値観だけで判断しているから苦しいんだ
もっと世の中にはいろんな人がいる、自分にももっといろんな可能性がある
今が全てじゃない
5年、10年後にどんな実を実らせるか、そんな考え方もあるんじゃないかな
10/6落ち込んで上がれない時⑧
自分が悩みの中にあって、困難な壁に当たってどうして自分だけこんなことになるんだろうって長く考えているとき
そんな時は自分の心の中で同じことを繰り返し、繰り返し、オーム返しのように反復している言葉に流されているとき
こんなときはペンを持って思っていること書いてみよう
そして書いた内容の解決策を探そう
きっとその答えは自分の心の中じゃない、外にある、だから誰かに聞いてみよう
10/7落ち込んで上がれない時⑨
自分が辛いなあって思っているとき、そんなとき、私って素敵でしょ、私幸せって眩しく光る人を見たとき
ふと避けたくなる
なのにその人は明るく「大丈夫?」なんて声をかけてくれたとき落ち込みが倍になる
そんなときはその場を避けて解決策を探そう
同じような悩みのある人たちと話をしよう
そしてその中の人がどうやって立ち上がったか聞いてみよう
苦しみも悲しみも知っていてきっと話をしたら元気が出るから
10/7落ち込んで上がれない時⑩
自分はこうなんだ、自分って昔からこうだったんだ、自分はなんてかわいそうなんだろう
なんて決めつけないで
自分の中の可能性を信じて
そうじゃない自分たくさんいるのに同じシーンの自分しか思い出さないでいるだけ
よい自分のシーンたくさん思い出すようにすると元気が出てくるから
そして未来が変わるから
12/6落ち込んで上がれない時⑪
落ち込んで上がれないとき、そんなことが多くて
いつも自分は落ち込みやすいという人がいたら・・・
きっとまわりの人に完璧主義じゃない?って言われたことない?
もともと静かな人は落ち込みも静かだけれどにぎやかな人が落ち込むと目立つ
世の中に美しい女性は多いけれど美人じゃないなって思っている人は多少のことにこだわらない
美しい人ほど、自分の欠点を見つけやすいし、人のこともよくみてる
例えがちょっと悪いかな
完璧を求めると人は本当に細かいとこまで気にしてそれに労力を使い果たすけれど8割でいい、9割でいいっていう人はもっと大きな視点からみたら10割求める人より達成度は高いし、余力ができる
落ち込みやすい人は10割求めて落ち込むことが多い
だから8割、9割でもっと自分の可能性を求めてみよう