• 現代のコミュニティはこのブログの大切なものです。

    日本は社会民主主義に傾倒していくのでしょうか。
    それともベーシック・インカムを取り入れ、
    最低の保障はするが後は本人の資産次第という道を
    歩くのでしょうか。

    何度も繰り返し書いていますが、
    社会民主主義においても、自由主義においても
    現代、家族の形が変容したが
    家族の単位を大切に考える政策を考えていく、
    それが日本発福祉政策なのではないでしょうか。
    日本の文化、神道を元に考えてみても
    「絆」「和」そして「家族」そういうことが
    人としての生涯の中で大切なのではないでしょうか。
    日本発経営としても同様です。

    例えばボランティア組織で地域を支える、
    そういうところにその人の家族の顔が
    見えない、そういう施策は
    どこか寂しく悲しいのではないでしょうか。

    家族関係の分断を進めるような施策は
    既に世に存在します。

  •  
    先日、京都綾部に行ってきました。
    なぜ、行くかといいますと
    行きたいと思ったからです。

     楓 

     太陽 

     行く季節に咲く白椿 ~新芽と共に

  • 先日、ゴルゴタの真実を書きました。

    Eveの真実という記事も書きたくなりましたが、
    こちらもまた機会があったら
    書いていきたいと思います。

  • この題名で長く書くものはありません。

    私を攻撃している、
    王宮でハーレムを作っている幸福の○○は
    偽仏陀であり、偽キリストです。

    もちろん、その弟子達も
    偽仏弟子であり、キリストの使徒ではありません。
    彼らワールドの中にいます。

  • Real of Golgotha

     ユダヤ教 Judaismのメシアと言われた Jesus Christ。

     その教えはユダヤ教より個人的な悟り、社会的な価値観の面でも
    高い思想でした。
    神がおられること、隣人への愛の教え、人はその生まれによって
    差別されるものではないこと、愛によって社会を形成すること。

     宗教としてのパラダイムシフトとしては個人の戒律を
    基礎に社会の形成をし、そして社会、人類への愛の思想への
    シフトアップです。

     それ故にユダヤ教の神官たちはその教えの内容については
    認めざるを得ないものでした。
    彼らの神性が大きく揺さぶられ、そして自らの身の置き所が
    崩れていくことを恐れました。
    まただからこそJesusに嫉妬もしました。
    そしてその存在さえ無くなれば自らがまた高みに上がれるとも
    考えました。

     権威が絶対の社会で権威の外でメシアが法を説く時、
    為政者や多くの権威者は自らの身の置き所がどうなるのか、
    右往左往しました。

     その教えが広まるにつれ、その法が我が物になれば自分が
    メシアになれる、自分では生み出した法では無いが、
    その法を説く者が居なくなれば自分がその法を説くことで
    メシアになれる、そう考える者もいました。

     イエスJesusが説いた法はマリアMary Magdalen居なくて
    完成するものではありませんでした。
    それはマリア自身の愛と悟りの深さでもあり、Jesusが神と
    繋がる為にマリアが大きな役割を果たしていたからです。
    男性優位の時代にJesusの周囲に集まった信徒は女性が
    優位になることを認めませんでした。
    なんとか自分より悟りの高いMary MagdalenをJesusから
    引き離し自分たちの身をJesusの近くに置きたいと考えていました。
    悪い噂を流し、Jesusの近くに身を置くに
    ふさわしくない人間である、法を説くにふさわしくないと
    口々に言いました。
    ダビンチコードにもあるように、最後の晩餐の絵画には
    その風景がよく現れています。

     ユダJudahは己自身を最も愛した人間でしたが
    その心は嫉妬に狂い、
    Jesusを自分のだけのものにしたかったのです。
    本当に自分だけのものにしたかったのです。

     イエスJesusもマリアMary Magdalenもこれらのことは
    当時全てわかっていました。
    この神の法を広め、神の子である多くの人々が未来に向かい
    幸福に導かれるにはどうしたらよいか、そう考えていました。

    そしてはゴルゴタの丘があるのです。
    続きをいつか書きましょう。

  • このblogに仏教について書いた時期がありました。 
    初めの頃です。
    これもこのblogの「テーマ」のひとつです。

    全てのものに仏性が宿っている。
    「一切衆生悉有仏性」
    仏性とは神仏とは何かということに繋がっている。

    仏性、
    現在「悪」と見えし者にも仏性があるが、
    その仏性が何かの要因で捻じ曲がっている、
    または仏性として現れるものの逆のことをやっているが
    元には仏性がある。
    そういうことがあります。

    仏教の悟りとは他者の介入するものではありません。
    自分と仏との相対峙したところにあります。
    悟りにもそれぞれの深みがありますが、
    私が思うところでは神仏への確信の連続であると思います。

    自分の存在を誇示しそこに仏性を見出そうとするのは、
    子供の頃の話ではないかと思います。
    神仏と私(自分)というところには調和があります。
    この調和も「皆と仲良くしよう」という子供の頃の話では
    ありません。

    悟り、enlightement
    それには重なる神仏への確信と深さがあります。

    全てのものに仏性がある。
    神仏と私(自分)と対峙しているところに、
    その仏性は輝き、ひとつひとつに仏の意思を感じます。

    Let’s try.

  • *日記です*

    full moon.

     朝の陽を
      その身に受けた
       桜(はな)玉が

     輝き放ち
      天地を結ぶ

  • アラブの春より世界各地で民主化のデモが
    みられます。

    あれから4年、
    ここ最近のデモは民主化によるものばかりでは
    無くなりました。
    東アジアや世界でもそれはみられます。

    デモを行う時にリーダーは
    民主化 ” Democracy “を明らかにすべきです。

    現在のウクライナの問題は簡単ではありません。

  • 題名より2日早く書いています。

    日本に3.11の災害が起きて3年、
    私は震災の最中、blogを書き続けました。
    過去、大きな震災の最前線でボランティアに
    出ていた私はこの時、私の身体上のことで
    現地に向かうことができず、
    あの時、blogを書くことが私の使命として
    生活の最優先として書き続けていました。

    報道から流れる苦しみの思いを受け止め、
    そしてその時、私にできることを
    できる限りやろうと多くの時間を思慧に使い、
    blogを書き続けていました。

    あれから3年、
    日本は「絆」を合言葉に復興へ向かいました。
    「絆」とコミュニティについてです。

    「現代のコミュニティ」は最初に書いたように
    このblogのテーマのひとつです。
    「現代のコミュニティ」は実は私が社会福祉を
    学んだ時に私のテーマであると確信した為に
    このblogのテーマにしたものです。

    経済と福祉とコミュニティ、
    世界では狭義では社会福祉は
    個人に対する福祉ということがあります。
    特に社会主義国家では
    個人の福祉として捉えられています。
    家族は夫婦であり、子供が独立しています。

    では自由主義ではどうでしょうか。
    家族より個人の自由を追求しているということが
    あるのではないでしょうか。
    今、世界に進んでいるグローバリズムでは
    どうでしょうか。
    昨年、ある東アジアの都市の福祉の
    取り組みについてお話を聞く機会がありました。
    私はコミュニティについて質問をしました。
    新興国として台頭したこの国家では
    福祉、信仰についてもはや自由主義国家と
    変わらないと思いました。
    経済が繁栄し、核家族化が進んでいました。

    もとに戻りますが、
    日本は3年前の大震災後、「絆」を大切にしました。
    「絆」の基となるものは「家族」であると思います。
    日本の近代の歴史は「家族」という絆を大切に
    築いてきたものではないでしょうか。
    近代の日本経済の原動力となったものはその形は
    見えなくなっていますが、家族であったと思います。
    日本の経営の考え方の元は「家族」という単位であり、
    Mr.Druckerもそれをよくよく知っていたと思います。

    3.11日本発、世界へ
    現代の日本について言えば、不足していると
    思いますが、日本が見つめなおし、
    経済そして福祉に「家族」としての価値観を持つことの
    重要性を今年、この日に書いておきたいと思います。

  • グローバリぜーションが進む中、
    新興国が台頭してきている、
    経済的な見方によってはそう捉えられるでしょう。

    今や経済大国になったChinaはいつ、
    愛を語り始めるでしょうか。待っています。