• 現在のグローバリゼーションはそのままですと
    世界に新自由主義を展開するということになります。
    経済としての話です。

    しかし、今この時代、
    これだけ経済、文化が広まった時代に、
    社会福祉の理念が全世界に広まっていく時代に、
    グローバリゼーションに愛が無くてどうでしょうか。

    グローバリゼーションと愛、
    それはグローバリゼーションが新自由主義ではなく、
    自由と愛を理念として進み、世界平和を祈るものでは
    なくてはならない、そういうことであると思います。

    グローバリゼーションと愛の社会、
    それは自由と繁栄そして愛の発展の姿です。

  • 「神国日本を創る」~大国主大神

    以前天照大神からも同じinspirationを頂いています。

    2/16、この日は関東の降雪がひどかったのですが、
    私は雪を通り抜け、出雲大社に参拝しました。

    出雲大社で祈りに入ると、大国主大神による
    「神国日本を創る」という力強いinspirationがありました。

    道中は問題なかったのですが、今回の祈りには
    邪魔が多く入り、審神者(サニワ)に時間がかかりました。

    審神者を行うという行為を常にする者にとって
    完全憑依で霊言というものは難しいものだと思います。
    私ができないかと言われるとそうではありません。
    私はトランス状態になることはありません。
    通常の意識の中で意識が二重、三重に
    なるようなイメージで霊媒となることはありますが、
    長時間そうなることはありません。
    審神者の意識が強いためです。

    前置きが長くなりました。

    「神国日本」というとは神風が吹く国とイメージを
    するのでしょうか。

    「神風」、確かにそういうこともあると思いますが、
    では神風が吹く日本の国の国民が全く神に無関心であったり、
    神を蔑ろにしたり、偽りの神を名乗る者が台頭しているようで
    あるならば日本の神、神々はどうするでしょうか。
    国を変えたいと思うのではないでしょうか。

    「神国日本」、
    それは神の国を世界に示すということのみではなく、
    日本の国民の神の国へのパラダイムであり、そういうことで
    「神国日本」を作り、示すということになります。

  • 幸福の○○教団様

    私はあなた方のような霊言を行って天から
    全てをもらおうとしている人たちと違い、
    私のblogに説かれていく法は自助努力の結果です。

    主ELは教団の神ではないでしょう。
    主ELはblogに書いていく私の法を褒めてくださり、
    Master of Masterも私が説く法を
    褒めて下さることが多々ありました。

    私の法が教団の法だと言いたいのならば、
    あなた方の教祖はいったい何者なのでしょうか。
    その教祖が説く法を法としているあなた方は
    いったい何者なのでしょうか。

    私が説く法があなた方の教団の法と言うのならば、
    あなた方はおかしな教団のおかしな人たちでしょう。

    T.Mさんも私にとっておかしな方です。

  • 競争社会でも良きものは共に磨き合い、
    良い方向でイノベーションを起こし、
    全体進化し、向上する社会だと思います。

    創造の世界でも他者を引き下げることを以って、
    何かを創造するというのならまず何かを
    創造などできない、いや、創造できないからこそ、
    人のものを自分のものとし、人から奪ってでも
    自分のものとし、自ら創造したと言いたいのでしょう。

    競争社会の中で足の引っ張り合いをし、
    他者を下げることを以ってのみ、
    自分を上に上げることしか
    できないというのは本当に残念な方々です。

    幸福の○○がもっとまともで理想を描けるかと
    思いましたがそんなことはなかったので残念です。

    でも社会ではそんな理想を心に持って歯を食いしばって
    頑張っている方々がおられると思います。

    「自らの心に理想を描ける者よ、
     目覚め、光を放て 」
                  蓮 みろく maitri

  • 先日、脱原発について記事を
    書きましたが、
    それは今の都選挙と関係はありません。

    しかし、脱原発について
    私がblogに記事を書き始めた時から
    神の意思で原発に変わるエネルギーを
    この世に出そうとしておられるのは
    何度も感じています。

    その受け皿が用意できなかったり、
    またはその開発をつぶしたりしない社会が
    必要です。

    脱原発は何かの言い訳に使うものではないので
    そのようなところではなかなか難しいでしょう。

    開発が進めば一挙に市場が広がるのは
    考えても明らかでしょう。

  • 不思議な題名をつけました。
    現在、私が取り組んでいるものです。

    私自身昨年7月以来、仕事上のことで心身が萎縮し、
    硬くなってしまっていました。自覚もありました。
    今、心と身体のストレッチを毎日少しづつ行っていて
    blogを以前書いていた時くらいの状態にまで
    戻そうとしています。

    心と身体が硬くなっている方は私だけではないと思い
    この記事を書こうと思いました。
    私の思いが向かった先は世界の戦いの中にいる
    信仰者の方々でした。

    まず、神への祈りです。

    心身が非常に疲れている時、
    または傷つき痛んでいると感じた時、
    神に祈ります。

    「神よ、
     私の心の傷が癒されますように
     また、力強く明日を歩む為に
     私の心に光が満ちますように
     
     ありがとうございます    」

    心はどこにあるかと問われると
    脳であると答えるのでしょうか。

    心は胸の中心部にあります。
    例えば嬉しい時にその喜びが溢れて止まらない、
    その時は心がその様に作用しています。
    何かショックなことがあると胸のその部分が
    苦しく感じます。
    またドキドキすることがあった時、
    胸の熱くなることが起きた時、
    そんな時も胸の中心部がそう感じています。

    本当にその様に作用していることを
    気がついてみれば
    誰でも経験があるのではないでしょうか。

    その心というものは
    時には硬くなり萎縮してしまうこともあり、
    また豊かで大きく広がることもできます。

    今、自分の心が硬くなっていると思ったら、
    両手を胸の前で合わせ、神に祈ります。

    目を閉じて自らの心の硬さがほぐれるように
    胸の中心部を丸い円か、球状をイメージして
    その円や球が少しずつストレッチをして
    広げていったり大きくしていくことを繰り返す、
    毎日少しずつそういう時間を持つ、
    そうすることで痛んだ心や硬くなった心に
    柔軟性が出てきて、心の光の保有量が増えます。

    自分の心がそうかもしれない、
    そう思う方は試してみてください。

    心に柔軟性が出てきて、硬さを感じないと
    自然と身体もほぐれ、肩や全身に無用な力が
    入らず、身体のストレッチにもなります。

    極限にいてもなおです。

  • 日本のデフレが解消して日本国民が本当に
    日本が豊かになるでしょうか。

    円安で輸出の拡大、エネルギー関係の輸入が
    安定していたら富む者は富むかもしれません。

    デフレ解消した後に環太平洋の経済政策が
    進んだら日本はどうなるのでしょうか。

  • 時々考えるのですが、
    原発施設の生産に関係ある日本企業の
    在庫と開発料と技術料は
    日本経済を揺るがすほどなのでしょうか。

  • 以前、映画「The lord of the Ring」を
    見たときにたいへん興味深いものでした。

    内容の壮絶さは良かったが残酷さ、気持ち悪さは
    異様に感じました。
    このストーリーの最後はどうなるのか、
    ただ正義が勝って悪が滅びるのか、
    そうではないと思い、このストーリーの最後を見つめました。
    結果は思った通りでした。

    私がblogを書き進むにつれて、私のblogの内容を
    自分のもの、自分たちのものに
    しようとする人達の悪意により攻撃されると
    時々この映画を思い出していました。

    この映画のRingは悪であり、闇のものであるが、
    私のblogの内容で逆に神をめぐり、神の法をめぐり、
    「神になりたい」または「神近いものになりたい」と
    思う者が私を否定する為に私に攻撃をします。
    そう考え、攻撃すること自体でその人達の心が
    「魔」に憑りつかれていると考えて間違いありません。

    法だけ取る行為に神の心にかなうものはありません。
    法だけ取る行為に神は力がおよぶことはないでしょう。
    そういうことに気がつかなくてはなりません。

    私が生涯でblogを書くことを休むことがあっても
    止めることはないでしょう。

  • 以前、「Mr.Druckerと私」という記事を書きました。
    2011.10月です。

    経営学として知られるMr.P.F.Druckerですが、
    日本でドラッカーを知る、または研究者のほとんどは
    新自由主義者であると感じました。
    研究者に近づくにつれ、私の知るMr.Druckerとの
    違いが明らかでした。2011年のことです。
    たぶん私のblogを熱心に読んでくださるドラッカー信者?の
    方々は私の知るMr.Druckerを
    理解されている方々であると思います。

    Mr.druckerは経営を考え、企業の繁栄を考えました。
    個人の成長を願いました。
    起きて来る競争社会において企業が繁栄し、
    社会が豊かであることを望みました。

    しかし研究者は競争社会で勝ち、自らが繁栄することを望み、
    経営者と労働者との格差を知らず知らずうちに望み、
    肯定してきたのでしょう。
    世界が新自由主義を肯定し、それに突き進むときにそれにより
    社会が良くなることがありません。

    Mr.Druckerの残した経営学、社会思想は私をもって
    完成することになっていたと私は最初から
    自覚していましたし、現在もそうだと思っています。